読者の方々は、科学者という職業をどのように見ておられるだろうか?大学や研究所で「教授」や「上席研究員」などの地位を得て、自らの構想で最先端の研究をし、論文を書き、後継者を育てる姿か。しかし、どうやらそれは過去のこと。今ではずいぶん異なる。
博士号を授与される研究者の卵の数は昔に比べて増えたが、研究者として食べていけるポストの数は年々減少している。その結果、独立して研究室を率いることのできる研究者の数は減少し、1年から5年の契約で、特定の研究グループで使われる研究者の数が増えている。こういった有期雇用の研究者の労働条件はかなり悪い。博士号取得前の大学院生も含め、研究グループの労働力としてこき使われる状況はよくある。教授、助教、ポストドクター、院生というヒエラルキーがしっかりとあり、結構ブラックだ。
インディアナ大学の研究者らが行った最近の研究によると、科学者の「寿命」がどんどん短くなっている。1960年代に科学の世界に入った人々は、その半数が科学者を辞めるまでにかかる年数は35年だった。つまり、昔の学者は、だいたい30歳で就職して、35年間はその地位を維持するというのが普通だったということだろう。
ところが、この年数は年を追うごとに減少し、2010年代に科学者になった人々の半数が科学者を辞めるまでの年数は、なんと5年なのである。しかも、天文学、生態学、ロボット工学という三つのかなり異なる研究分野を比較して、傾向は全く同じなのだ。サンプルの取り方や計算の方法についていくつもの批判は寄せられているものの、大筋において、これは実際の傾向を表していると私は感じる。
研究論文には、1人で研究成果をまとめて出版する単著の論文もあれば、2人の共著や、3人以上のグループ研究の共著もある。60年代に科学者になった人々のうち、一度も自分が筆頭著者になったことのない研究者は、全体の25%だった。ところが、10年代になると、その割合は全体の60%に及ぶのである。
10年代の研究者はまだ若いから、これからの可能性を思えば、筆頭著者になる希望はまだあると思われるかもしれない。しかし、甘い見通しと言わざるをえない。日本科学技術振興機構のデータによると、単著の論文は、1992年には全論文出版の23.1%を占めていたが、2011年には11.6%に減少している。逆に、4人以上の著者による共著論文の割合は、34.3%から56.9%に増加した。
一つの論文で共著者の数が最も多い論文は、いったい何人によると思うだろうか?11年時点では、それは3203人だった。それが、15年に発表されたヒッグス粒子観測の論文では、5154人になった。
そう、この数十年で科学の世界で起こっているのは、ある種の産業革命なのだ。熟練した親方の下での徒弟制度と手工業による製造から、工場での大量生産へと転換した産業革命の時代。
同様に科学はいま、個人の科学者が自らのアイデアによって1人で研究していた時代から、大規模なグループによる組織的研究の時代へと変化している。産業革命初期、大量の労働者が劣悪な条件でこき使われたのと同様、現在の若手研究者たちは不安定な身分でこき使われている。
だとすると、産業革命が生産と雇用の形態を変え、労働者の労働条件を変えたように、科学界も、その生産と雇用の形態を根本的に考え直す必要があるのではないか?
産業界では、個人のたくみによるもの作りは無くなってはいないが、主流ではない。大企業が大工場で大勢の労働者を統括し、役割分担で製品が作られている。イノベーションはあるが、働いている人々みんながそんな発想をしているわけではない。
同様に、学者になっても、誰もが研究室を率いる地位にはつけない。研究は大きなチームワークだ。そのチームをサポートする研究者は大量に必要で、それぞれの役割がある。それは、本当にアイデアを出す科学者だけではなく、他分野や他機関との調整役もあれば、全体の運営事務役もある。それぞれが、博士号をもった科学者の道だというモデルである。