東邦大学、総合研究大学院大学、農業・食品産業技術総合研究機構、国立科学博物館、國學院大學、東京大学、人類学研究機構、京都大学、関西医科大学、杭州師範大学らの研究グループは、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の遺跡から出土した古人骨ならびに2,000人以上の日本列島人集団を合わせたミトコンドリアDNA(以下、mtDNA (注1))の比較解析を行いました。その結果、これまでに明らかにされてこなかった過去から現在までの日本列島人集団の遺伝的関係性が、初めて明らかになりました。また、約4万年前に日本列島に人類が初めて出現して以降の人口を推定し、それらの結果を論文として発表しました。
これらの成果は2021年6月13日に 雑誌Scientific Reports(オープンアクセス)に「Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences」(DOI:10.1038/s41598-021-91357-2)というタイトルで発表しました。
遺跡から出土した古人骨や歯からDNAを抽出して、その塩基配列を決定する古代DNA研究は、過去の人類集団の由来や現代人集団とのつながりを知る上でとても強力なツールです。日本列島は火山灰からなる酸性土壌が多く、古人骨等に残存しているDNAが保存されにくい環境にあります。そのため日本列島から出土した古人骨や歯を用いて古代DNA研究をするのは一般的には難しいとされてきました。また、遺跡の証拠から旧石器時代には日本列島に現生人類がいたことが明らかになっていますが、旧石器時代の人骨の出土例は限られたものしかありません。
現代日本列島人集団は、縄文時代に日本列島にいた集団と、弥生時代開始時に大陸から稲作文化を持ち込んだ渡来系の集団の混血であることが、様々な研究から示唆されています(埴原和郎の「日本人の二重構造仮説」(注4))。しかし、旧石器時代人骨の古代DNA研究が進んでいなかったため、旧石器時代に日本列島にいた集団と縄文時代集団やそれに続く集団に遺伝的なつながりがあるかどうかは、不明でした。
本研究では、港川フィッシャー遺跡から出土した旧石器時代の港川1号人骨からDNAを抽出し、次世代シーケンサをもちいた手法でmtDNAの塩基配列を全長(約16,000塩基対)にわたって決定することができました。加えて、縄文時代の居家以岩陰遺跡、東名遺跡、轟貝塚遺跡、加曽利貝塚遺跡、姥山貝塚遺跡、摩文仁ハンタバル遺跡の人骨から、また弥生時代の土井ヶ浜遺跡と花浦遺跡の人骨からも新たにmtDNAの全塩基配列を決定しました(図1)。
さらに新たに決定した現代日本列島人集団約2,000人のmtDNAと、既に論文発表のあった縄文時代の船泊遺跡と伊川津貝塚遺跡の古代DNAの情報を合わせ、解析を行いました。
mtDNAの系統関係を示した結果からは、縄文時代の人骨のmtDNAと弥生時代の人骨のmtDNAは現代日本列島人集団のmtDNAと非常に近い関係にあることがわかり、埴原の二重構造仮説が改めて支持されました(図2、3)。港川1号人骨のmtDNAは、縄文時代、弥生時代、現代の集団の直接の祖先でないことが示唆されました。
図2. ベイズ法によって再構築されたmtDNAの系統樹
ハプログループごとのまとまり(クラスター)をアルファベットで示している。黄色矢印の縄文時代、紫色矢印の弥生時代の人骨のmtDNAはそれぞれ、現代日本列島人集団のいずれかのグループとクラスターを形成する。一方、赤矢印で示された港川1号人骨のmtDNAはハプログループMの祖型を持っており、現代日本列島人集団のどのグループともクラスターを形成しない。
図3. 多次元尺度構成法を用いて示された個々のmtDNAの関係
港川1号人骨は図2の結果と同様、現代日本列島人集団のどのグループにも含まれない。縄文時代、弥生時代の人骨のmtDNAはそれぞれ、現代日本列島人集団のいずれかのグループに含まれる。アルファベットはそれぞれのハプログループの図中の位置を指す。
一方で、港川1号人骨のmtDNAはハプログループ(注5)Mの祖先型であることがわかりました。ハプログループMは広くアジアに分布しているmtDNAのハプログループで、現代の日本列島集団にも多くみられます。このことから、港川1号人骨のmtDNAは現代の現代日本列島人集団の直接の祖先ではないにしろ、現代日本列島人集団の祖先のグループに含まれるか非常に近いものだということがわかりました。これらの結果から、日本列島ではヒト集団に旧石器時代から現代に至るまでmtDNAに遺伝的に連続性があることが示唆されました。
また、現代日本列島人集団約2,000人のmtDNAの情報から、過去の有効集団サイズの変化を推定しました。その結果、45,000-35,000年前、15,000-12,000年前、3,000年前のそれぞれの時期に有効集団サイズの上昇が見られました(図4)。特に3,000年前以降は有効集団サイズの上昇が著しいことから、大陸から持ち込まれた稲作の影響と弥生時代以降も続いた大陸からの渡来の影響が示唆されました。
図4. Bayesian Skyline Plot法(注6)によって推定された過去の有効集団サイズの変化
縦軸は対数軸で示されている。旧石器時代、縄文時代、弥生時代に相当する年代がそれぞれ橙色、緑色、水色で示されている。45,000-35,000年前、15,000-12,000年前、3,000年前のそれぞれの時点での 有効集団サイズの上昇が見られた。
雑誌名:「Scientific Reports」(2021年6月13日)
論文タイトル:Population dynamics in the Japanese Archipelago since the Pleistocene revealed by the complete mitochondrial genome sequences
著者:Fuzuki Mizuno*, Jun Gojobori*, Masahiko Kumagai, Hisao Baba, Yasuhiro Taniguchi, Osamu Kondo, Masami Matsushita, Takayuki Matsushita, Fumihiko Matsuda, Koichiro Higasa, Michiko Hayashi, Li Wang*, Kunihiko Kurosaki, and Shintaroh Ueda (*責任著者)
DOI番号:10.1038/s41598-021-91357-2
アブストラクトURL:www.nature.com/articles/s41598-021-91357-2