遺跡から出土する魚骨は、過去の海に生きていた魚が漁獲されて埋没したものであるため、当時の海洋環境とヒトの食物獲得行動の実態を記録しています。また、安定同位体分析という手法を用いることで、遺跡から出土した魚が過去にどのような環境に暮らし何を食べていたかを推定できます。
本研究では、礼文島(北海道)の浜中2遺跡から出土した約2300〜800年前の魚骨240点以上を安定同位体分析し、過去の礼文島に暮らした人びとの漁撈(ぎょろう)活動と海洋環境の時期変化を復元しました。その結果、タラ、ホッケ、ニシン、ソイなどの出土量が多く重要な食資源であった魚のうち、タラでのみ、古い時期(続縄文文化期)に比べて新しい時期(オホーツク文化期)に窒素の安定同位体比が明確に低下していました。タラでは窒素の安定同位体比と体サイズが正の相関を示すため、オホーツク文化期に漁獲されていた個体のサイズが比較的小さかったことが示唆されました。オホーツク文化期には舟や大きな錘付きの網などの漁具が発達したことが考古学的な証拠からわかっており、比較的小さなタラでも効果的に漁獲できるようになった可能性があります。あるいは、これらふたつの時期のあいだには気候が寒冷化したことが花粉分析の結果から示されており、寒冷化によって礼文島周辺のタラの成長、移動、繁殖パターンが変化した可能性も考えられます。
このように、遺跡から出土したさまざまな魚種の安定同位体比を通時的に比較することで、過去の人間行動の変化や気候変動の影響の痕跡を探ることが可能になります。
遺跡から出土する遺物は、過去の自然環境や人間行動の記録をとどめた「タイムカプセル」であると言えます。そうした遺物のなかでも魚骨は、人類の漁撈活動や海洋環境の変動を記録しています。海に暮らす魚が陸上の遺跡に堆積するためには、ヒトが漁獲して利用し廃棄する必要があります。また、異なる移動や食性のパターンを示すさまざまな魚種は、それぞれが海洋環境の異なる側面を反映します。そのため、遺跡から出土したさまざまな魚種の骨を通時的に分析することで、ヒトの漁撈活動の変遷や、海洋環境の変動を検討できます。
安定同位体分析によって、過去の魚が暮らした海洋環境や、その魚が食べていた餌に関する情報が得られます。質量数の異なる同位元素である安定同位体は、さまざまな物質中に異なる比率で存在しています。海の生物資源における炭素や窒素の安定同位体の存在比率は、水温やその生物の餌の内容によってシステマチックに変化することがわかっています。したがって、遺跡から出土した過去の魚の骨の炭素や窒素の安定同位体比を測定することで、その個体が当時どのような海域に暮らしていたかのほかに、どのような餌を摂取していたかがわかります。
考古遺跡から出土した魚骨の安定同位体分析に関する先行研究では、魚の交易の実態や、過去の人びとの漁獲圧による海洋生態系の撹乱が調べられています。しかし、こうした研究のほとんどは海外の遺跡について実施されており、日本国内ではあまり例がありませんでした。
時期 | 土器型式 | 年代 | 特徴 |
---|---|---|---|
続縄文 | 縄文後期、続縄文 | 約2300〜2250年前 | ヒトの居住跡 |
オホーツク前期 | 十和田 | 約1500〜1430年前 | 遺物の少ない砂層 |
オホーツク中期 | 刻文、沈線文、元地 | 約1430〜1150年前 | 厚い魚骨層 |
オホーツク後期 | 元地、擦文 | 約1150〜800年前 | 遺物の少ない自然堆積層 |
あるいは、これらふたつの時期のあいだには気候の寒冷化があったことが花粉分析の結果から示されており、寒冷化によって礼文島周辺のタラの成長、移動、繁殖パターンが変化した可能性も考えられます。海水温の変化によってタラではそうしたパターンが変化することがわかっており、もし陸上で示された寒冷化が海洋環境にも波及していれば、オホーツク文化期にはより小型のタラが礼文島に接岸するようになった可能性もあり得るかもしれません。なお、ふたつの時期のあいだには、浜中2遺跡における人間活動は低調で、遺物もほとんど出土していません。
ほかの魚種では、ふたつの時期のあいだに明確な違いが見られませんでした。ニシンの窒素安定同位体比はオホーツク文化期の一部でのみ有意に増加していましたが、理由はよくわかりません。ソイの炭素同位体比はオホーツク文化期のなかで有意に変化しましたが、「ソイ」にさまざまな種が含まれて平均値が変動したことが理由と考えられます。 魚骨の安定同位体比は、漁場の違い、海洋の安定同位体比のベースライン変化、遺物の汚染や分解、人間活動の季節性、気候の寒冷化そのものによっても変化します。しかし、本研究のさまざまな魚種で見られた傾向は、これらのどれによっても説明しきることができませんでした。