2025.06.10
「博士人材の価値は学位そのものじゃない」—総研大 × アカリクが語る「体験」の重要性

「博士人材とは」——その問いに、大学院とHR企業のリーダーが向き合う
2025年4月1日、総研大は株式会社アカリクとキャリア開発・就職支援に関する相互連携協定を締結しました。この節目にあたり、総研大の永田学長と、アカリクの山田代表が対談を実施いたしました。

博士人材の強み、育成の現場での課題、そして「博士課程の価値とは何か」。未来をつくる知のキャリアについて、率直な意見が交わされました。
人物紹介

総合研究大学院大学長 永田 敬
東京大学副学長、総研大理事・副学長を経て、2023年より総研大学長。博士(理学)。

株式会社アカリク 代表取締役社長 山田 諒
人材育成や転職・就職支援等のHR経歴は10年以上。2021年よりアカリク代表取締役。
株式会社アカリク 大学・学会連携担当 浅岡 凜(ファシリテーター)
博士課程修了後、研究者を経て大学職員としてのキャリアを積み、2023年よりアカリクで大学や学会との連携を担当。博士(理学)。
目次

「研究するより、支える側に行きたい」学生が増えている
浅岡氏(ファシリテーター)
ではまずはじめに、総研大と総研大生の特徴についてお伺いしてもよろしいでしょうか。
永田学長
総研大には2つの特徴があります。
まず、先端的な研究を行う大学共同利用機関が教育の場である点です。つまり、実際の研究をやりながら人が育っていく。学生でなく研究者として扱われる環境の中で、彼ら・彼女らは自分がやりたい研究を進めていくバイタリティを持っていると言えるでしょう。
また、学士課程が無いことも特徴です。総研大に進学する学生は、「慣れ親しんだ環境を変える」ことへの抵抗を乗り越えている人ばかり。そういう意味では、高いモチベーションやレジリエンスを持っているとも言えます。
ちなみに、総研大の出身者はおよそ7割近くが研究職へ進んでいますが、最近は志向が変わってきているようです。自分自身で研究をするというより、研究や研究者を支援する仕事がしたいという人が少なくない。若い世代は、大学に残るか企業へ行くかは関係なく、研究活動の支援や、世の中の科学技術の進歩を支えることがしたいという意識を持っている方が増えている印象があります。
山田代表
面白い傾向ですね。アカリクにも、ポストドクターを経てアカリクへ転職で入社してくれた社員が数名いて、そのうちの一人は今キャリアアドバイザーをやっています。彼は薬学出身で、動脈硬化症の治療薬の研究をする中で、自分以外の研究者を支援し、やりたいことの実現をサポートしたいという思いを持って入社してくれたんです。
永田学長
大学院にいる数年間、研究の現場に居た人がそういう志向を持っているのは大切です。研究を支援する上で「ポイントがどこにあり、何が肝となるのかをわかっている」という点で強い。
山田代表
アカリクの門を叩いてくれる新卒の方々は、そういう志向が強いですね。キャリア支援や採用支援を通じて、研究者や研究者の卵の方々にもっと活躍してもらいたいという思いを持っています。
研究人材を支援する職種といえば、大学のキャリアセンターや、企業の研究者採用の担当などが挙げられますが、あまりポジションは多くありませんね。
永田学長
そういう意味では、従来の職種にとらわれない貢献の仕方をイメージしている学生はいるかもしれません。そういったものが実現できるのかどうか――彼ら・彼女らがイメージしていることを聞いた上で、適切な情報を提供する必要がありそうですね。

「学位」そのものよりも大切なものとは
浅岡氏
では次に、アカリクについて簡単にご紹介をお願いいたします。
山田代表
アカリクは、大学院生の就職・転職支援を中心に事業を行う会社です。 2006年に創業し、博士人材のキャリア支援を祖業としています。創業者は哲学を専門とする博士課程の出身で、私は2代目として2021年に代表へ就任しました。
創業当時、博士の民間就職はあまり一般的ではありませんでした。創業者の周囲の博士学生は、非常に優秀であるにも関わらず、民間企業の採用対象に含まれていないし、また彼ら・彼女ら自身の中にも、民間企業への就職というキャリアの選択肢を持つ人は少なかったようです。
ここがマッチすれば、つまり「知恵の流通」が加速すれば、より産業界での研究や技術開発が進み、博士を目指す若者が増え、アカデミアへも好影響を及ぼし、社会全体がより良くなる――こうして、コーポレートミッション「知恵の流通の最適化」を掲げ、現在までアカリクは事業を行っています。

永田学長
大学の中にいると、アカデミアの道へ進む学生に関しては、修了後どのようなキャリアを歩んでいるのかがある程度見えます。一方で、民間企業へ就職する学生は、就職後どうなっているのか、実はほとんど追えていない。

その中で、もちろん、個人の能力差は大きいと思いますが、民間企業において、学士・修士に比べ、博士はどのように違いますか?
山田代表
やはり「自走力」なのではないかと思います。自分で考えて、走って、修正して、……という一連のプロセスを独力で遂行できる。
永田学長
ですよね。博士号の取得という、いわば「成功体験」を持っていますから。とある企業の方は、「専門性」よりも「自走力」の方が重要だとも言っていました。
そうなると、恐らく博士学生にとって大切なのは、どんな研究をするかではなく、何を体験するか。例えば、きちんと自分で考えたかや、大学院の外の空気を吸ったか――私はこれを「スチューデント・エクスペリエンス」と呼んでいます。学位を持っていることそのものよりも、この体験が大事なのではないかと思っています。
山田代表
博士人材の強みの本質は、「学位そのもの」ではなく「学位を取得する過程で得た経験」ということですよね。
博士課程の学生は、就職を考えるときに、例えば年齢だと学部卒の社会人6年目と横並びですが、経験という意味においては、一概に横並びにできない。社会人になって6年目の方が「自走した成功体験」を持っているかと言われると、そうでもないこともあります。
あとは、博士学生の方々とお話していると、話が面白い方が多い。それはまさに豊富な経験の表れだと思います。多くの苦悩があり、ドン底も味わい、だけどそこから這い上がって学位を取るという、ジェットコースターの人生を経験している。そういう方の話は聞いていて引き込まれてしまいます。
永田学長
私はいつも学位授与の際に、「自分が歩んできた道を振り返ると、決してストレートではないだろう。色んな回り道がそこにある。そのひとつひとつに、ちゃんと意味がある。これを忘れないでほしい」という話をするんです。これがまさに経験です。

博士への先入観の壁と、それを越える鍵
浅岡氏
そんな博士人材ですが、まだまだ産業界における活躍の場は限られています。今後博士人材の活躍をさらに拡大するために、大学と企業がそれぞれできることや、やるべきことについてはどうお考えでしょうか。
永田学長
難しいテーマですね。もちろん大学院の教育というのは、民間企業へ就職した際のスキルを養成することを主目的にはしていない。研究という経験で、ある種副次的に得られたスキルを企業がどう活用できるかが課題かと思いますが、企業から見るとどうなんでしょうか?
山田代表
企業側の博士人材への理解の余地はまだまだありそうですね。まだまだ博士人材に対しては「専門的すぎる」「知識ばかり」のような歪んだ先入観が見受けられます。それを解消するには、お互いを知る機会が最も重要だと考えています。
初めて参加される企業の方は、やはり博士学生の持つスキルを見て驚く方がほとんどです。テーマに対して多面的にアプローチする視点の多さであったり、課題設定の筋の良さであったり。あるいはコミュニケーションスキルやプレゼンスキルの高さは、特に意外だと言われるケースが多いです。

永田学長
そういう意味では、インターンシップはどうでしょう?
山田代表
インターンシップも良い機会です。ただし、インターンシップの多くは採用を目的としており、相互理解を主軸においたインターンシップは限りなく少ないのが実情です。
永田学長
そういった制度でマッチングする博士学生は、その多くがいわゆる「レアケース」なのかもしれませんね。トップクラスに優秀な学生がマッチングする印象です。
博士人材という大きな括りで、よりサスティナブルに社会での活躍を促進するとなると、恐らくトップ層以外が活躍できる状況をどう作っていくかが重要だと思いますが、そこに対して何かイメージはありますか?
山田代表
アカリクとしては、やはり大学と企業双方の視点を組み合わせて、キャリア教育を行っていくことが大切だと考えています。博士課程1年目のタイミングから、民間企業との接点を持ち、ロールモデルに触れながら、目の前の研究でどうパフォーマンスを出していくかを考える。ここが、重要かつ改善の余地が多い点なのではないでしょうか。
永田学長
課題といえば、文系の博士学生についても大きな課題がありますね。
アカリクの創業者の方は哲学の方とのことでしたが、例えばアメリカのスタートアップの創業者には文系の博士も多いんですよね。つまり、研究よりもさらに短期的なスパンで自身のスキルや考えを社会へ還元する――こういった感覚を持った文系博士の方が多く出てくるような教育も必要かもしれません。
以前、東京大学に居た頃の話ですが、ブランドデザインのワークショップがありました。例えば新しいプロダクトブランドの企画のようなテーマに対して、色んな分野を超えた学生たちがグループワークをする。あるときそこに、芸大の学生に参加してもらったんです。そうすると面白いことが起こって、グループを仕切って構想を描くのは芸大の学生だったんですね。文系の学生の中には、ある目的に対してイメージを描いて、それを共有し、チームを引っ張るというスキルや資質を持った方がいます。
山田代表
面白いですね。文系博士課程の出身者はアカリクの社員にもいて、文系ならではの視点や考え方で活躍しています。文系博士の民間就職率は、理系に比べてまだまだ低い水準にあるので、まだまだ伸びしろがある部分だと考えています。

「既定路線の外」こそ、本当の選択肢かもしれない
浅岡氏
博士人材のさらなる活躍には多くの課題が残されていますね。 そんな中での今回の連携協定締結ですが、その目的や意義、具体的な取り組みについてのお考えをお聞かせいただけますか。
永田学長
総研大は特殊な環境であり、そういう意味では、比較的就職支援のための仕組みを持っていない大学です。では、アカリクと一緒に何をやっていくのかと考えたときに、学生に対して手取り足取り、何でも教えて、最後向いている職を提示するような支援の仕方は望ましくないでしょう。
博士学生は、自分で物事を考えられる方々で、いわば「いい年齢」です。そういう意味では、総研大の中にいても知ることができない情報に触れる機会の提供が最も重要になると思います。その結果、考えてもいなかったようなキャリアの選択肢に出会い、自らの決断でそこへ進んでいく。こういうことが起こると良いなと考えています。
つまりアカリクと一緒にキャリア支援をしていなければ、こんなところには絶対行かなかっただろう、という学生が一人でも二人でも現れたら成功かなと。これを期待しています。
山田代表
ありがたいお言葉です。良い意味で、既定路線からずれたキャリアを選ぶ学生が増えていく。これが成功ということですよね。
確かに、博士学生は特にそうですが、いわゆる「いい大人」というのは仰るとおりです。過保護のように手取り足取り、というのは考えものですね。そういう意味では、今回の協定では「アカリクのサポートがあったからこういうキャリアを選択しました」という学生を何名生み出せるかが、今回の協定の成果指標になりそうですね。

あとは、アカリクが提供するキャリア支援においては、アカデミックキャリアと民間企業でのキャリア、その両面を知っている浅岡のような立場の社員が、セミナーなどを実施します。学生にとっては、アカデミアの方や民間企業の方の視点をミックスした、頼れるメンターとなり得るでしょう。これはアカリク独自の強みだと思うので、気軽に相談できる環境を整えたいなと考えています。
永田学長
たしかに。学生から将来についての相談を受けることがありますが、大学教員はアカデミックなキャリアだけを通ってきたケースがほとんどですから、アドバイスには限りがあります。いろんなキャリアパスを通ってきた人の存在は、学生にとって非常に重要ですね。
山田代表
具体的なところはこれからご相談していくところですが、普段接点のない産業界との関わりを創出していきたいですね。
「変わることを恐れないで」──未来を歩く博士たちへ
浅岡氏
では最後に、これから総研大へ進学される方や在学中の、これから総研大を羽ばたいていく方々へ、それぞれメッセージをお願いします。
永田学長
“Dare to be Different” というメッセージを送りたいと思います。
もちろん研究においては、人と違うことをしなければなりません。ただ、その意味だけではなく、これまでと違う自分になってほしい― どうか、自分の殻を破ってください。
総研大へ進学して、それまでと同じ自分でいても仕方がない。あるいは総研大を出るときも全く同じです。それまでの延長線上にいるのではなく、違う自分になる。そのために色々なことを経験し、学び、身につけてください。変わることを恐れない人材になってほしいと思います。

山田代表
アカリクからは2つメッセージをお伝えしたいと思います。
まずひとつは、今回の協定を通じて、アカリクから様々なサポートを提供することになります。「ちょっと試しに聞いてみるか」「ダメだったら文句いってやろう」くらいのスタンスでいいので、ぜひ利用してみてください。永田学長が仰ったように、ぜひ変化を恐れず飛び込んでほしい。私たちもベストを尽くし、良いサポートを提供します。
もうひとつは、今日の話にも出た「知る機会」として、積極的ないわゆる「他流試合」を企画します。学内のコミュニティの外、例えば、全く違う環境の、全く違う専門の学生・研究者の方や、民間企業の方をお呼びして、交流する機会を作れればと考えています。こういったものをぜひ使い倒していただいて、自ら「経験」の幅を広げてほしいと思います。

終わりに
「博士人材とは」――この問いに正解はありません。
しかし、「学びつづけ、変化を受け入れ、自ら問いを立て自走する力」こそが、これからの社会にとって不可欠であることは確かです。
アカリクと総研大は、博士課程で過ごす時間を、単なる学位取得のための通過点ではなく「社会に触れる体験の場」とするため、これからさらに連携を深め、挑戦を続けていきます。
