2025.07.04
【プレスリリース】励起状態における対称性の破れが光物理特性を制御 ~ヤーン・テラー歪みによる励起状態の局在化を10フェムト秒の超高速分光で観測~
発表のポイント
- 光機能のデザインには分子の対称性の制御が鍵になるが、対称性と機能を結び付けて理解する研究対象は遷移金属錯体に限られており、典型金属錯体の研究例は限られていた。
- 対称性の高い典型金属アルミニウム(III)二核錯体*1の励起状態における、ヤーン・テラー歪みによる対称性の破れを、超高速分光による実時間での分子振動の観測を通じて世界で初めて実証した。
- 本研究で得られた知見は、励起状態での対称性の破れを活用した分子設計の指針に繋がると期待される。
概要
分子材料の光機能は、分子の構造や対称性と密接に関係しています。中でも、光励起によって分子の対称性が変化する現象が、光物理特性にどのような影響を与えるのかは、近年注目されつつある重要な課題です。しかしこのような励起状態における対称性変化と光機能の関係は、主に遷移金属錯体を対象とした研究例に限られており、持続可能な社会を実現するために重要な典型元素錯体ではこれまで十分に解明されていませんでした。
今回、九州大学大学院理学研究院の江原巧大学院生、宮田潔志准教授、恩田健教授らは、分子科学研究所/総合研究大学院大学の倉持光准教授(現:大阪大学 教授)のグループ、九州大学大学院工学研究院の小野利和准教授のグループ、理化学研究所の村中厚哉専任研究員と共同で、三重らせん構造を有する高対称性のアルミニウム(III)二核錯体に着目して研究を行いました。光励起に伴う分子の構造変化を詳細に観測・解析するため、10フェムト秒(100兆分の1秒)の励起パルスを用いた超高速分光と量子化学計算を組み合わせて計測を行いました。その結果、光励起に伴って一部の配位子が平面化する構造変化が、分子全体の対称性がD3からC2へと変化するヤーン・テラー歪みと強く結合していることが明らかになり、電子状態の特定の配位子への局在化も実証しました。
今回解明された励起状態における対称性破れ、およびその光物性との相関は、アルミニウムのような地球豊富元素を活用した持続可能な光機能材料の設計にとって極めて重要な知見であり、次世代の高性能・高効率な発光材料や光電変換材料の開発へとつながることが期待されます。
本研究成果は、2025年6月18日(水)付で米国化学会の国際学術誌「Journal of the American Chemical Society (JACS)」にオンライン掲載されました。

研究の背景と経緯
発光性分子材料の光機能は、分子の構造や対称性と密接に関係しています。中でも、光励起によって分子の対称性が動的に変化する現象が光物理特性に与える影響は、近年注目されつつあるものの、その詳細な理解は未だ進んでいません。これまでの研究は主に、縮退したd軌道由来の励起状態を持つ遷移金属錯体を対象としており、地球に豊富に存在する元素を基盤とした分子材料における対称性変化の実時間観測や、その光機能との関係解明は手付かずの領域でした。
そこで本研究グループは、三重らせん構造を有する高対称性アルミニウム(III)二核錯体(Al-H)に着目しました。この錯体は、3枚のπ共役配位子が2つのアルミニウム(III)イオンにD3対称に配位するユニークな構造を有し、吸収スペクトルから大きく長波長側にシフトした発光スペクトルを示しながら高い発光量子収率を示すという特異な光物性を持っています。これが励起状態での構造変化や電子状態の変化とどのように関連しているのかを解明することは、光機能性材料設計において非常に重要です。
研究の内容と成果

本研究グループは、Al-Hの光励起後の構造変化と電子状態変化を明らかにするため、10フェムト秒(100兆分の1秒)と非常に短いパルスを使った過渡吸収分光法(TA)*2を用いて、励起直後の動的過程を詳細に解析しました。その結果、過渡吸収信号の時間変化には、単なるポピュレーション変化(励起状態の生成や消失)に加えて、励起状態の核波束運動に由来する明瞭なコヒーレント振動*3が観測されました(図1)。この振動成分をフーリエ変換することで、どの振動モードに沿った構造変化が励起後に生じているかを明らかにすることができます。その結果、140 cm-1に対応する1つの配位子のねじれ振動が強いコヒーレント振動を示していることが分かりました。さらに、通常この計測で観測される振動は全対称の振動モードですが、この140 cm-1の振動はe対称性(非全対称)の振動モードに属することが分かりました。これは、励起状態において分子の対称性が破れていることを示唆しています。また、このコヒーレント振動は約410フェムト秒という短い時間で減衰し、分子骨格の非対称な変形(ヤーン・テラー変形*4)と強く結合していることが示されました(図2)。
さらに、量子化学計算(TD-DFT)により、実験結果と整合的に、分子全体の対称性がD3からC2*5へと低下する構造変化が確認されました。また、この構造変化に伴い、電子状態が1つの配位子に局在化することも示されました。特に、強いコヒーレント振動を示した1つの配位子のねじれ振動は、励起後にその配位子が平面化し、π共役が拡張されることでエネルギーが安定化する構造変化に対応していることが分かりました。このように、本研究では、振動モードと電子状態の自由度が強く相互作用し、発光波長や強度といった光物性を制御するメカニズムを、分光計測と理論計算の両側面から詳細に明らかにしました。
今後の展開
本研究により、対称性が高い分子の励起状態における動的な対称性の破れと電子局在化が発光特性に直結することが初めて実験的に実証されました。この成果は、光励起後の動的構造変化、特に対称性の変化を積極的に設計に取り入れるという、新たな光機能材料の設計概念を提示するものです。
今後は、アルミニウムのような地球に豊富で環境負荷の低い元素を用いた持続可能な分子材料の開発において、本研究で明らかにされた「対称性制御」に基づく戦略が広く応用されていくことが期待されます。また、得られた知見は、有機EL材料、センサー、フォトレドックス触媒などの次世代光機能材料の設計にも波及する可能性を秘めています。
用語解説
(※1)アルミニウム(III)二核錯体
アルミニウム(III)錯体とは、Al3+(三価アルミニウムイオン)を中心金属とし、その周囲に有機分子(配位子)が結合して形成された化合物です。金属錯体の多くは、d軌道を持つ遷移金属を中心に、配位子との強い相互作用によって特有の電子構造を示します。一方、アルミニウムはpブロック元素であり、その特性から、高い対称性を持つ配位子の集積体(錯体)を構築するのに適した金属中心として機能します。
(※2)過渡吸収分光法(Transient Absorption Spectroscopy, TA)
過渡吸収分光法(TA)は、超短パルスレーザーを用いて分子を光励起し、その後の一時的な電子状態の変化をプローブ光を用いて吸収スペクトルの変化として追跡する時間分解分光法です。本研究では、10フェムト秒という極限的に短い時間幅の励起光を用いたTA測定により、光励起直後に発生するコヒーレント振動や速い構造緩和過程をリアルタイムで可視化しています。
(※3)コヒーレント振動(Coherent Oscillation)
コヒーレント振動とは、分子が光励起された直後に、複数の振動準位が量子的に重ね合わせられ、位相を揃えて振動する現象です。この状態は「核波束(wavepacket)」として表現され、時間とともに運動することで、吸光度などの周期的な変調として現れます。これは、分子の構造変化や電子状態の変化と密接に関連しており、分子の振動周期よりも短いパルスを用いた時間分解分光法で観測されます。
(※4)ヤーン・テラー変形(Jahn-Teller Distortion)
ヤーン・テラー変形とは、分子が縮退(複数のエネルギー状態が等しい)した電子状態にあるとき、構造的にゆがんで対称性を下げることで系全体のエネルギーを下げる現象です。従来は、d軌道の縮退を持つ遷移金属錯体においてよく知られた現象ですが、本研究では、アルミニウム(III)というd軌道を持たない金属でも、対称的に配位した配位子の電子励起により類似の構造的歪みが誘起されることを明らかにしました。
(※5)D3対称性、C2対称性
これらは、分子の対称性を表す記号で、分子の形や構造がどれだけ“左右対称”や“回転対称”であるかを数学的に分類したものです(図3)。
D3対称性:
「3回回転軸」と「垂直な2回回転軸」を持つ高対称な構造。研究対象のアルミニウム(III)二核錯体では、3枚の配位子が等価な配置で2つの金属中心に配位しているため、このD3対称性を持ちます。
C2対称性:
「1つの2回回転軸のみ」を持つ、より低い対称性。光励起後、1つの配位子が平面化かつ配位子が二等辺三角形の配置になることで、このC2対称性へと変化します。

謝辞
本研究の成果は、日本学術振興会科学研究費(JP21H01895, JP22H02159, JP23KJ1742, JP23K23427, JP23H04631, JP23K26670, JP23K20039, JP23H03833, JP23H01977, JP24K01471, JP24K01515)、科学技術振興機構(JST)創発的研究支援事業(JPMJFR201K)、豊田理研スカラー、吉田学術教育振興会、九州大学エネルギー研究教育機構(Q-PIT)モジュール研究プログラム、九州大学未来社会デザイン総括本部及び分子研協力研究(IMS program: 22IMS1225 and 23IMS1252)の支援を受けたものです。
論文情報
お問い合わせ先
<研究に関すること>- 九州大学 大学院理学研究院 化学部門 教授 恩田 健(オンダ ケン)
TEL:092-802-4170
Mail:konda@chem.kyushu-univ.jp - 九州大学 大学院理学研究院 化学部門 准教授 宮田 潔志(ミヤタ キヨシ)
TEL:092-802-4167
E-mail:kmiyata@chem.kyushu-univ.jp - 自然科学研究機構 分子科学研究所/総合研究大学院大学(現:大阪大学 教授)
准教授 倉持 光(クラモチ ヒカル)
E-mail:hkuramochi@ims.ac.jp
<報道に関すること>
- 九州大学 広報課
TEL:092-802-2130 FAX:092-802-2139
Mail:koho@jimu.kyushu-u.ac.jp - 自然科学研究機構 分子科学研究所 研究力強化戦略室 広報担当
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Mail:press@ims.ac.jp - 総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
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Mail:kouhou1@ml.soken.ac.jp