2025.05.22

【プレスリリース】ゲノム解析で明かされた人類の移動と進化 -北アジアから南アメリカまでの約2万キロにおよぶ移動経路を解明-

 金沢大学医薬保健研究域医学系/医薬保健研究域附属サピエンス進化医学研究センターの田嶋敦教授、国立国際医療研究センター(現在:国立健康危機管理研究機構)の徳永勝士ゲノム医科学プロジェクト長、総合研究大学院大学 統合進化科学研究センターの田辺秀之准教授は、シンガポール・南洋理工大学が主導する国際的なゲノム研究に参画し、古代のアジア人が人類史上最も長い先史時代の大移動を行い、アメリカ大陸の遺伝的多様性に影響を与えたことを明らかにしました。

 この研究は、「GenomeAsia100Kコンソーシアム(※1)の支援を受け、アジア地域の多様な民族グループ139集団、1,537人のゲノムDNA配列データを解析したものです。この研究プロジェクトにはアジア、ヨーロッパ、アメリカの22の研究機関から48名の研究者が参加しています。

 今回の研究では、ユーラシアおよび南アメリカの先住民の遺伝情報を詳細に解析し、人類がアフリカから北アジアを経て、南アメリカ最南端ティエラ・デル・フエゴに至る移動経路を明らかにしました。約1万4千年前に南アメリカ北西部に到達した初期移住者は、そこから4つの主要グループに分かれ、それぞれがアマゾンやパタゴニアなどに移住したと推定されました。この長距離移動の過程で遺伝的多様性が減少し、特に免疫関連遺伝子の多様性の低下が、後に持ち込まれた感染症への脆弱性につながった可能性が示唆されました。さらに本研究は、アジア系集団が従来考えられていた以上に高い遺伝的多様性を持つことを明らかにし、ゲノム研究におけるアジア系集団の重要性を改めて強調しました。これらの成果は、人類の進化や環境への遺伝的適応に関する理解を深め、今後の医学や科学の発展に貢献する基盤となることが期待されます。

 本研究成果は,2025年5月15日に米国科学誌『Science』に掲載されました。

研究の背景

 先史時代の人類は地球上を広く移動しており、初期のアジア人たちは徒歩で北アジアから南アメリカの南端に至るまで、2万キロを超える壮大な旅をしたと考えられています。この旅は数千年にもわたり、何世代にもわたって続けられたと推定されています。当時は氷河期の影響によりユーラシアと北アメリカ大陸間に陸橋が形成されていたため、こうした長距離移動が可能だったと考えられています。

 現代の多様な地域や民族集団のゲノムDNA配列を解析し、そこに残された共通の祖先の痕跡や、時間の経過とともに蓄積された遺伝的変異を比較することによって、人類がどのように分岐し、移動し、そして新たな環境に適応していったのかを解明することが可能です。さらに、過去の人類集団の移動や地理的隔離が遺伝的特性に与えた影響を追跡することで、現代における病気への感受性や免疫系の進化に関する新たな知見を得ることができます。

研究成果の概要

 ユーラシアおよび南アメリカの先住民集団の遺伝的プロファイルを分析した結果、研究チームは、人類の移動がアフリカから始まり、北アジアを経由して、最終的にはアルゼンチン最南端のティエラ・デル・フエゴに到達した経路を明らかにしました。この地は、陸路による人類の地球上での移動における最終到達点と考えられています。

 特に重要な発見は、推定された移動ルートと各地域集団の分岐時期の分析から、初期の移住者が約1万4千年前に、現在のパナマとコロンビアの境界付近に位置する南アメリカ北西部へ到達していたことが判明した点です。そこから人びとは4つの主要なグループに分かれ、一部はアマゾン盆地にとどまり、その他は乾燥地帯であるチャコ地方や、南方のパタゴニア氷原へと移動していきました。アジア以外で最も高い山脈であるアンデス山脈の谷間を通って移動したと推定されます。

 本研究はまた、こうした長距離移動が人類の遺伝的特性に与えた影響や、初期の移住者が多様な生態環境に定住していく過程で、どのように遺伝的に適応していったのかについて、多くの新たな知見を提供しました。研究責任者であるシンガポール・南洋理工大学アジア環境学部のHie Lim Kim(ヘリム・キム)准教授は次のように説明しています。「長い旅の中で、移動した人々は祖先の遺伝子プール(※2)のごく一部しか引き継ぐことができませんでした。そのため、免疫に関わる遺伝子の多様性が失われ、さまざまな感染症への対応力が制限されることになったのです。」この知見は、後にヨーロッパからもたらされた病原体に対して、一部の南アメリカ先住民族がなぜ特に脆弱だったのかを理解するうえでの重要な手がかりとなる可能性があります。

 さらに本研究チームは、現在世界人口の過半数を占めるアジア系集団が、従来の予想を上回る高い遺伝的多様性を有していることを明らかにしました。本研究の共同責任著者であり、「GenomeAsia100Kコンソーシアム」の科学ディレクターを務めるシンガポール・南洋理工大学のStephan Schuster(シュテファン・シュースター)教授は次のように述べています。「これまで、ヨーロッパ系の人類集団の方が遺伝的に多様であると考えられてきましたが、それは大規模なゲノム解析においてアジア系の人々が十分に調査対象として含まれてこなかったことが主な要因です。」

今後の展開

 本研究の成果は、人類の移動の歴史を再評価する重要な契機となり、ヒト進化研究の新たな基盤を築くものです。先住アメリカ人の遺伝的背景への理解を深めるとともに、これらのコミュニティの保護や支援に向けた政策立案にも貢献することが期待されます。さらに、最先端のゲノム解析技術と国際的な研究協力が、進化に対する理解を飛躍的に深め、今後の医学的および科学的なブレークスルーへの道を切り開くことを示しています。また、ゲノム研究が個別化医療、公衆衛生、さらには人類の進化の理解において重要な役割を果たす中で、本研究は、アジア系人類集団の遺伝情報をヒトの遺伝学的研究に積極的に組み入れる必要性を再確認させるものとなりました。

研究者(田嶋 敦教授)のコメント

 本研究には、日本の多数の研究者が長年にわたり南アメリカで行ってきた学術調査と国際共同研究の蓄積が大きく貢献しています。特に、科学研究費の助成を受けて過去に実施された南アメリカ各地の先住民族に関するフィールドワークにおいて収集・保管された「園田・田島コレクション(理化学研究所バイオリソース研究センター)」などの貴重なゲノムDNA試料を活用することで、南アメリカ先住民の遺伝的背景に関する重要な知見を提供し、人類の壮大な移動史の解明に不可欠な役割を果たしました。

 本研究成果は、日本の豊かな学術的知見と国際的な研究ネットワークとの連携によって実現されたものであり、人類進化や遺伝的多様性の理解を大きく前進させる、極めて意義深いマイルストーンとなりました。

掲載論文

  • 雑誌名: Science
  • 論文名: From North Asia to South America: Tracing the longest human migration through genomic sequencing. (北アジアから南米まで:ゲノム解析による人類最長の移動経路の解明)
  • 著者名: Elena S. Gusareva,1,2,3† Amit Gourav Ghosh,1,2,3† Vladimir N. Kharkov,3,4† Seik-Soon Khor,2,3,5 Aleksei Zarubin,3,4 Nikita Moshkov,3,6 Namrata Kalsi,2,3 Aakrosh Ratan,3,7 Cassie E. Heinle,2 Niall Cooke,3,8 Claudio M. Bravi,9 Marina V. Smolnikova,3,10 Sergey Yu. Тereshchenko,3,10 Eduard W. Kasparov,3,10 Irina Yu. Khitrinskaya,4 Andrey Marusin,4 Magomed O. Razhabov,4,11 Maria V. Golubenko,3,4 Maria Swarovskaya,4 Nikita A. Kolesnikov,4 Ksenia V. Vagaitseva,4 Elena R. Eremina,12,13 Aitalina Sukhomyasova,14,15 Olga Shtygasheva,16 Deepa Panicker,2 Poh Nee Ang,2 Choou Fook Lee,2 Yanqing Koh,2 See Ting Leong,2 Changsook Park,2 Sachin R. Lohar,2 Zhei Hwee Yap,2 Soo Guek Ng,2 Justine Dacanay,2 Daniela I. Drautz-Moses,2 Nurul Adilah Binte Ramli,2,3 Katsushi Tokunaga(徳永勝士),3,5 Ian McGonigle,3,17,18,19 Inaho Danjoh(檀上稲穂),20 Andrés Moreno-Estrada,3,21 Atsushi Tajima(田嶋敦),3,22,23 Hideyuki Tanabe(田辺秀之),3,24 Yukio Nakamura(中村幸夫),3,25 Shigeki Nakagome(中込滋樹),3,8 Tatiana V. Tatarinova,3,26 Vadim A. Stepanov,3,4†† Stephan C. Schuster,2,3,18,27†† Hie Lim Kim,1,2,3*
  1. The Asian School of the Environment, Nanyang Technological University; Singapore
  2. Singapore Centre for Environmental Life Sciences Engineering, Nanyang Technological University; Singapore
  3. GenomeAsia 100K consortium; Singapore
  4. Research Institute of Medical Genetics, Tomsk National Medical Research Center, Russian Academy of Science; Russian Federation
  5. National Center for Global Health and Medicine(国立国際医療センター); Japan
  6. Synthetic and Systems Biology Unit, Biological Research Centre (BRC); Hungary
  7. Center for Public Health Genomics, University of Virginia School of Medicine; USA
  8. School of Medicine, Trinity College Dublin; Ireland
  9. Instituto Multidisciplinario de Biología Celular (IMBICE), CCT La Plata CONICET-CICPBA-Universidad Nacional de La Plata; Argentina
  10. Federal Research Center “Krasnoyarsk Science Center of the Siberian Branch of the Russian Academy of Sciences”, Research Institute of Medical Problems of the North; Russian Federation
  11. Sector of Biophysics, Institute of Physics, Dagestan Federal Research Center; Russian Federation
  12. Buryat State University; Russian Federation
  13. Buryat Republican Perinatal Center; Russian Federation
  14. Research laboratory for Molecular Medicine and Human Genetics, Medical Institute, M.K. Ammosov North-Eastern Federal University; Russian Federation
  15. Republican Hospital #1 - National Medical Centre, Ministry of Public Health of the Sakha Republic; Russian Federation
  16. Katanov State University of Khakass; Russian Federation
  17. School of Social Sciences, Nanyang Technological University; Singapore
  18. School of Biological Science, Nanyang Technological University; Singapore
  19. Department of Anthropology, Maynooth University; Ireland
  20. Tohoku Medical Megabank Organization, Tohoku University(東北大学 東北メディカル・メガバンク機構); Japan
  21. Advanced Genomics Unit, Center for Research and Advanced Studies of the IPN (Cinvestav); Mexico
  22. Department of Bioinformatics and Genomics, Graduate School of Advanced Preventive Medical Sciences, Kanazawa University(金沢大学 大学院先進予防医学研究科 革新ゲノム情報学分野); Japan
  23. Sapiens Life Sciences, Evolution and Medicine Research Center, Kanazawa University(金沢大学 医薬保健研究域附属サピエンス進化医学研究センター); Japan
  24. Research Center for Integrative Evolutionary Science, The Graduate University for Advanced Studies, SOKENDAI(総合研究大学院大学 統合進化科学研究センター); Japan
  25. RIKEN BioResource Research Center(理化学研究所バイオリソース研究センター); Japan
  26. University of La Verne; USA
  27. Lee Kong Chian School of Medicine (LKCSoM), Nanyang Technological University; Singapore
    †, †† 同等貢献者
    責任著者

用語解説

  • (※1) GenomeAsia100Kコンソーシアム
    アジア地域に居住する人びとの遺伝的多様性を解明することを目的とした国際的なゲノム研究プロジェクトのこと。2016年に設立され、アジア系の人びとのゲノム情報を収集・解析し、その多様性を明らかにすることを目標としている。
  • (※2) 遺伝子プール
    ある集団(種・地域・民族など)に属するすべての個体が持つ遺伝子の総体のこと。集団が持ちうる遺伝的な選択肢のすべてを含んだ集合体を意味する。この用語は、「集団遺伝学」と呼ばれる分野で用いられ、個体ではなく、集団全体の遺伝的構成や多様性を扱う際に使用される。

本件に関するお問い合わせ先

    ■研究内容に関すること

  • 金沢大学医薬保健研究域医学系 教授
    田嶋 敦(たじま あつし)
    TEL:076-265-2719
    E-mail:atajima@med.kanazawa-u.ac.jp
  • 国立健康危機管理研究機構 国立国際医療研究所 ゲノム医科学プロジェクト長
    徳永 勝士(とくなが かつし)
    TEL:03-3202-7181
    E-mail:tokunaga.ka@jihs.go.jp
  • 総合研究大学院大学 統合進化科学研究センター 准教授
    田辺 秀之(たなべ ひでゆき)
    TEL:046-858-1573
    E-mail:tanabe_hideyuki@soken.ac.jp
  • ■広報担当

  • 金沢大学医薬保健系事務部総務課総務係
    山田 里奈(やまだ りな)
    TEL:076-265-2109
    E-mail:t-isomu@adm.kanazawa-u.ac.jp
  • 国立健康危機管理研究機構 危機管理・運営局 広報管理部
    TEL:03-3202-7181
    E-mail:press@jihs.go.jp
  • 総合研究大学院大学 総合企画課 広報社会連携係
    TEL:046-858-1629
    E-mail:kouhou1@ml.soken.ac.jp

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