2017.10.10

平成29年度秋季入学式 学長式辞 【10月10日】

学問研究の本当の意義とは?

みなさま、本日はご入学おめでとうございます。総研大は学部を持たない大学院だけの大学であり、みなさんが、それぞれの出身の学部を離れ、敢えて新しいこの場所を研究の地として選ばれたことを、私は誇りに思います。学問の将来をになう新しい院生の方々をお迎えすることは、私たちにとってもまことに喜ばしいことであります。

さて、みなさんはこれからの3年または5年間を、学問研究に捧げることになります。それは何を意味するのでしょう? みなさんは、本当に何をしたいのでしょう? 研究は、あなた自身にとって、また社会全体にとって、どんな意味があるのでしょうか? もちろん、私たちは、みなさんがよい研究を行なえるようにするための、よい教育プログラムと教育研究環境を提供します。次世代の研究者集団を養成することこそが、私たちの任務です。でも、みなさん自身にとって、研究とは何であり、それを社会に対してどう説明しますか?

総研大は国立大学法人なので、私たちの活動のほとんどは国によって支えられています。つまり、あなたがたの研究と教育の多くは税金によって賄われ、日本の社会によって支えられているのです。今、みなさんはまだ研究を始めようするスタートラインに立ったばかりですから、世の中全体における研究活動の意義という大きなビジョンは見えないかもしれません。自分が研究したいことしか目に入っていないかもしれません。それどころか、5年一貫制の院生の中には、何を研究したいのか、具体的な目標設定さえもまだで、研究したいという希望だけがはっきりしている人さえいるかもしれません。それはそれで結構です。これからしばらくのうちに方向を決めていきましょう。

しかし、これから自分の研究を進めていく間に、学問研究全体の意義や研究と社会との関係についても思いをめぐらし、自分の意見を持つようになっていただきたいと思います。

最近の日本では、科学研究が社会の新たなイノベーションを産み出し、それが日本社会の経済発展の機動力になることが求められています。一方で、数年前には、国立大学に人文系諸学などはいらないと言ったような、乱暴な議論が出てきたこともありました。幸いにして、そのような論調は否定されましたが。

なぜこんなことになったのでしょうか? それは、自然科学の知見が発展すると、それに基づいて新たな技術革新が起こる、それによって経済発展が見込める、それこそが自然科学の研究を国家的に支えている理由だ、という論理によるのだと私は思います。人文系諸学はそのような経済発展をもたらすものとは見えないので、「いらない」という発言がでたのでしょう。

古来より人間には、周囲の自然界を理解し、説明したいという欲求がありました。それが発展し、紆余曲折の末に現在のような自然科学が形成されました。一方、人間には、周囲の自然を利用し、人間の暮らしに役立つ物を発明したいという欲求もあり、試行錯誤によってそれを実行してきました。数百万年前に始まる石器の作成から、農業・牧畜の発明、その他の生活技術の発明と改良まで、技術の歴史は連綿と続いています。つまり、科学と技術はまったく異なる2つの人間性の発露だったのです。それが近世になって、実験と観察、帰納法と演繹法の組み合わせによって自然の原理を解明する自然科学の知識を利用すれば、非常に効率的にさまざまな役に立つ技術が開発できるということがわかり、科学と技術が結びついたのです。

そしてどうなったか? その後は、科学的探求は、技術的発展に貢献し、究極的に国家の経済発展に貢献するためにあるのだ、という筋立ての話が主流になってしまったようです。基礎科学は重要である、といつも主張されます。なぜか? 本当に有意義な技術革新を行うには、今は何ともわからない、広大な基礎科学のすそ野を広げておかねばならないからだという説明です。でも、本当にそれでよいのでしょうか? 基礎科学が重要である理由は、いつか、そのすそ野の広さがあるがゆえに、技術革新と経済発展が生み出されるからなのでしょうか?

それも一つの考えでしょう。しかし、それだけではないはずです。基礎科学を広く発展させることを正当化する理由は、今はそれだけが強調されているけれども、これだけではないと私は確信しています。もう一つの重要な理由は、ものごと探求することは消すことのできない人間の本性であるということ、そして、知ることは知らないことよりもよい、という価値観です。「知っている」人は「知らない」人よりも世界を深く正確に理解する知恵を持つことができる、ということです。

昔は天動説が信じられていました。でも、研究が進むとそうではないことがわかり、地動説になりました。ニュートン力学は17世紀から18世紀初頭にかけて作られましたが、自然界の物体の動きを説明する力学として、それは非常に有効でした。その後、アインシュタインの相対性理論や量子力学が生まれ、物理的世界に関する人々の理解は大きく変わりました。

生物学の分野でも、200年、300年前と比べると、現在の知識ははるかに進んでいます。生命はどこからでも自然に発生するという自然発生説が否定され、生命は生命自身から生まれるという考えに転換しました。遺伝情報がDNAという分子によって担われていることがわかり、たくさんの種は別個に創造されたのではなく、生物はみな進化的につながっていることもわかりました。生態系についても、脳や神経系についても、膨大な知識が蓄積されました。生物に関する私たちの現在の知識は、200年前とは比べものになりません。

長い目で見れば、今は最先端である知識の集合体が、やがて、普通の人々の常識となり、人々の世界観、人間観、自然観を形作るもととなるのです。200年前に人々が持っていた世界観は、この200年の科学的知識の増大によって大きく書き換えられました。一般の人々が科学の詳細については知らなくても、人類が持っている知識の総体が、人々の世界の認識の土台となるのです。

また、人文社会系諸学は、さまざまな人間の活動や考えを普通とは異なる角度から吟味し、新たな視点を提供してくれます。人間の文化や歴史や社会制度やものの見方について、誰もが「当たり前」だと思っていたことを覆したり、誰も気づかなかった見方があることを教えてくれたりします。

私は、これこそがアカデミクスの仕事の人類史的成果だと思っています。人類全体の知識レベルを上げること、人類全体が、世界を、歴史を、自分自身をどう考えるかのレベルを上げることです。自然現象や社会現象の本当の姿は、しばしば見た目とは異なります。それを明らかにするには、そうすることの専門家が必要であり、私たちは、そうした専門家なのです。

科学的知識はますます深く、細部にいたるようになっていますが、それは、科学の発展の抗しがたい流れでもあります。人文系諸学の考えにも、あまりにも専門的過ぎる議論やペダンティックな領域もあります。そうすると、一般の人々にはよく理解できなくなり、興味も持たれなくなってきます。技術革新につながる、経済発展につながるというシナリオは誰にもわかりやすいので、そればかりが言われるようになるのでしょう。それも一つのシナリオではありますが、しかし、私たち研究者は、学問研究の本来の目的を理解し、大切にしていかねばなりません。研究者はみな、新しい知識を情報としてつけ加えていくばかりでなく、知識がどのようにして叡智を生み出すのかも、考えねばならないのだと思います。私は今、私自身の考えを述べましたが、みなさん一人一人が自分で考えてください。

これから、よい研究ができますように、それが、素晴らしい博士論文となりますように、お祈りいたします。そして、将来、みなさんが自分の人生を振り返ったとき、総研大で過ごした数年間が実に楽しい有意義な時間だったと思えるようになることを願っています。

ご入学、本当におめでとうございます。

2017年10月10日

総合研究大学院大学長 長谷川 眞理子

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