2026.02.13
【プレスリリース】電子のやりとりに連動した構造変化が鍵! コレラ菌の生育に必須のナトリウムポンプのはたらく仕組みを解明
概要
先進国ではコレラはもはや深刻な感染症ではありませんが、途上国では地域的流行(エンデミック)が散発しており、依然として深刻な感染症です。また世界的に見ても、抗菌剤の効かない薬剤耐性菌の出現は大きな社会問題となっています。新しい抗菌剤の標的となるタンパク質や、その標的に作用する化合物を探し続けることは、社会的意義の大きい基礎研究です。
京都大学大学院農学研究科の石川萌 博士課程学生(当時、現・日本学術振興会海外特別研究員)、桝谷貴洋 助教、村井正俊 准教授、京都工芸繊維大学応用生物学系の岸川淳一 准教授、自然科学研究機構 分子科学研究所/総合研究大学院大学の関健仁 博士課程学生、岡崎圭一 准教授らの研究グループは、米国レンセラー工科大学(ニューヨーク州)のBlanca Barquera教授との国際共同研究により、コレラ菌など一部の病原性細菌のエネルギー生産に必須のナトリウムポンプ(ナトリウム輸送性NADH-ユビキノン酸化還元酵素※1、以下 NQR)の動作原理を明らかにしました。
具体的には、NQRが基質の酸化還元反応(電子のやりとり)に応じてその立体構造をダイナミックに変化させる様子を、低温電子顕微鏡(クライオEM)※2を用いて、世界で初めて詳細に観察しました。さらに、その構造変化がナトリウムイオンの輸送に必須であることを、分子動力学(MD)シミュレーション※3によって裏づけました。今回の成果は、酸化還元反応によって作動するユニークなナトリウムポンプであるNQRがナトリウムをくみ出す仕組みを明らかにしたものです(図1)。これにより、NQRを標的とする新しい抗菌剤の開発研究の基盤が整えられたと言えます。本研究成果は 2026年2月12日に国際学術誌 Nature Communications にオンライン掲載されました。
1.背景
ナトリウム輸送性NADH-ユビキノン酸化還元酵素(NQR)は、細菌の細胞膜上に存在するエネルギー代謝酵素です。1977年にコレラ菌で初めて発見され、現在、一部の病原性細菌や海洋性細菌など約100種類の細菌でその存在が知られています。NQRは、NADH からユビキノンへ電子を渡す反応(酸化還元反応)を触媒すると同時に、そのエネルギーを利用して、細胞膜を介してナトリウムイオン(Na⁺)を細胞の外側へとくみ出します。NQRによって作られた細胞膜内外のナトリウムイオンの濃度差は、生物のエネルギーの「共通通貨」であるATPを合成するためのエネルギー源や、細菌のべん毛を動かすための原動力として利用されます。そのため、NQRは細菌が生存するためには不可欠な酵素です。
機能的な観点から見ると、NQRは「基質の酸化還元反応をエネルギー源として動くナトリウムポンプ」と言えます。研究グループは2022年に、コレラ菌NQRの全体構造を初めて明らかにし、酵素内部を流れる電子の経路や阻害剤が結合する部位を特定しました。一方、NQRが電子移動を触媒するには、酵素そのものが大きな構造変化を起こすことが必要なのですが、その証拠は見つかっていませんでした。さらに、「どのようにして酸化還元反応のエネルギーが、ナトリウムイオンをくみ出す力に変換されているのか」という肝心な仕組みは、不明のままでした。
そこで当グループは、NQRがはたらく際に、どのように構造を変化させていくのか(反応の中間構造)を、連続的にとらえることでNQRのはたらく仕組みを明らかにしようと試みました。
2. 研究手法・成果
我々は、NQRがさまざまな状態をとる条件を工夫して、合計9種類の異なる条件からNQR試料を調製し、低温電子顕微鏡(クライオEM)を用いて、合計12種類の立体構造を明らかにしました。その結果、NQRを構成する複数のサブユニット(部品)が、内部に存在するコファクター(電子を受け渡しする分子)の酸化還元状態に応じて、「開いた状態」と「閉じた状態」の間を行き来していることを示す反応中間体(いわば“スナップショット”)が、少なくとも5種類あることが判明しました(図2)。
この「開閉運動」が起きているのは、細胞膜に埋まっている領域であり、ここがナトリウムイオンの通り道の「ゲート」として機能していることが予想されました。そこで実際にナトリウムイオンがこの領域を通れるかどうかを確かめるため、分子動力学(MD)シミュレーションを行いました。MDシミュレーションでは、原子一つひとつの動きをコンピュータ上で追跡することで、タンパク質や周囲の水分子・イオンが時間とともにどのように動くかを調べます。その結果、クライオEMから得られた構造に基づく仮説を裏づけるように、
1.NQRの酸化還元状態の変化に応じて、膜内の「ゲート」が開閉する
2.ゲートの開閉に合わせて、ナトリウムイオンが水分子をまとった(水和した)状態で、疎水的な膜内空間を透過していく
というモデルを得ることができました(図3)。クライオEMによる構造生物学的アプローチと、MDシミュレーションによる計算化学的アプローチを組み合わせることで、これまでブラックボックスとされてきたNQRの反応機構を、原子レベルで描き出すことに初めて成功しました。これは、NQRが発見されてからおよそ50年を経て到達した、重要なマイルストーンと言えます。
3.波及効果、今後の予定
NQRの働きを阻害する化合物は、細菌のエネルギー代謝を止めてしまうため、有望な新しいタイプの抗菌剤候補として期待されています。従来の抗菌剤の多くは、細菌に特有の「タンパク質合成系」「DNA複製系」「細胞壁合成系」という三大標的に偏って開発されてきました。しかし、これらに対する薬剤耐性が広がっていることが問題になっています。
これに対して本研究で標的としたNQRは、細菌の生存に必須でありながら、薬剤の標的としてはこれまで手つかずの重要な酵素です。従来とは異なる標的を狙うことで、薬剤耐性菌の問題を乗り越える新たな戦略につながると期待されます。今後は、今回明らかになった「酵素が連続的に構造変化しながらナトリウムをくみ出す一連のステップ」のなかで、どのステップを止めればもっとも効果的に酵素の働きを止められるかを明らかにし、その重要なステップをピンポイントで阻害する薬剤の開発が重要になると考えられます。
4.研究プロジェクトについて
本研究は、科学研究費補助金・基盤研究B(三芳:21H02130、岡崎:23K23858, 25H02299、村井:25K01958)、基盤研究C(桝谷:24K08729)、特別研究員奨励費(石川:22KJ1795)、アメリカ国立衛生研究所 (Barquera: R56-AI132580, R01-AI181279)、上原記念生命科学財団(岸川)、武田科学振興財団(岸川)、および創薬等技術支援基盤プラットフォーム(BINDS,JP23ama 121001)および京都大学運営費の支援を受けました。
<用語解説>
※1 ナトリウム輸送性NADH-ユビキノン酸化還元酵素(NQR):
細菌の細胞膜に存在し、基質であるNADHとユビキノンの酸化還元を駆動力として、ナトリウムイオンを細胞膜の外側へ能動輸送する酵素です。哺乳類ミトコンドリア には、ナトリウムイオン(Na+)の代わりにプロトン(H+)を輸送する酵素(呼吸鎖複合体-I)が存在しますが、進化的にも構造的にもNQRとは異なるため、NQRは理想的な創薬標的だと考えられています。
※2 低温電子顕微鏡法(クライオEM法):
タンパク質などの生体高分子を生理的環境に近い水溶液中で凍結させた状態で電子顕微鏡観察する手法。構造生物学の分野では、従来のX線結晶構造解析法に代わるタンパク質の構造解析法として急速に発展しています。
※3分子動力学(MD)シミュレーション:
タンパク質分子やその周囲に存在する水分子・イオンなどを構成する一つひとつの原子の運動を、原子間相互作用に基づいて数値的に計算する手法です。近年のCPUやGPUをはじめとする計算資源の発展により、大規模なタンパク質分子のシミュレーションも可能になっています。
<研究者のコメント>
私たちは、NQRがどのように働いているのかを明らかにすることを目指して、米国の研究グループとともに10年以上にわたって共同研究を続けてきました。このタンパク質の研究をおよそ50年前に世界で初めてスタートさせたのは、千葉大学薬学部の畝本力先生と林万喜先生でした。その後長い間、NQR研究は主に海外の研究者が中心となって進めてきましたが、日本の研究者としてNQR研究に重要なマイルストーンを打ち立てることができ、大変うれしく思っています。私たちの研究は基礎研究が中心ですが、将来的に創薬研究に貢献できるような知見を提供することを目標に、これからも地道に研究成果を積み重ねていきたいと考えています。(村井正俊・岸川淳一)
<論文タイトルと著者>
<問い合わせ先>
- 村井 正俊 (むらい まさとし)
京都大学大学院農学研究科 応用生命科学専攻 准教授
TEL:075-753-6406
E-mail:murai.masatoshi.5s(at)kyoto-u.ac.jp - 岸川 淳一(きしかわ じゅんいち)
京都工芸繊維大学 応用生物学系 准教授
TEL:075-724-7532
E-mail:kishijun(at)kit.ac.jp - 岡崎 圭一 (おかざき けいいち)
自然科学研究機構 分子科学研究所 計算科学研究センター/総合研究大学院大学 准教授
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