対談 大隅良典 総研大名誉教授(1/3ページ)

つづら折りの研究者人生
楽観的かつ自由に好きな分野を探求

対談者

  • 大隅 良典 総研大名誉教授 略歴
  • 岡田 泰伸 総研大学長 略歴
  • 永山 國昭 総研大理事 略歴

大隅 良典

経歴

2016年、「オートファジーの仕組みの解明」によりノーベル生理学・医学賞を受賞。

1996年  総研大 生命科学研究科 教授

1996年 岡崎国立共同研究機構 基礎生物学研究所 教授

2004年 自然科学研究機構 基礎生物学研究所 教授

2008年 総研大 生命科学研究科長

2009年 総合研究大学院大学及び基礎生物学研究所 名誉教授

賞歴

2005年 藤木賞

2006年 日本学士院賞

2007年 日本植物学会学術賞

2009年 朝日賞

2012年 京都賞

2013年 トムソンロイター引用栄誉賞

2016年 ノーベル生理学・医学賞

岡田泰伸

1974年 京都大学医学部 助手

1981年 京都大学医学部 講師

1992年 岡崎国立共同研究機構生理学研究所 教授

1992年 総合研究大学院大学生命科学研究科 教授(併任)

1998年 総合研究大学院大学 生命科学研究科長

2004年 自然科学研究機構生理学研究所 教授

2004年 自然科学研究機構生理学研究所 副所長

2007年 自然科学研究機構 副機構長(兼)生理学研究所長

2007年 総合研究大学院大学生命科学研究科 生理科学専攻長

2010年 自然科学研究機構 理事(兼)生理学研究所長

2011年 自然科学研究機構 副機構長

2014年 国立大学法人総合研究大学院大学長

永山國昭

1973年 東京大学理学部 助手

1993年 東京大学教養学部 教授

1997年 岡崎国立共同研究機構生理学研究所 教授

1997年 総合研究大学院大学生命科学研究科 教授(併任)

2001年 岡崎国立共同研究機構 統合バイオサイエンスセンター長

2004年 自然科学研究機構岡崎統合バイオサイエンスセンター 教授

2007年 自然科学研究機構岡崎 統合バイオサイエンスセンター長

2009年 自然科学研究機構生理学研究所 情報処理・発信センター長

2011年 自然科学研究機構 専門研究職員

2014年 総合研究大学院大学理事

永山 本日司会を務めさせていただく総研大理事の永山です。よろしくお願い致します。
大隅良典先生は、基礎生物学研究所教授や総研大教授も歴任されて本学とのご縁もあり、今回の先生のノーベル賞受賞をことのほかうれしく受け止めております。今日は、先生が研究者として歩むことになった経緯なども交え、現在の教育・研究体制についてお考えになっていること、あるいは総研大教員や学生へのアドバイスもお聞きかせいただきたいと考えています。

岡田 このたびは、ノーベル生理学・医学賞受賞、おめでとうございます。教員・学生・職員一同、大変誇りに思っております。

大隅 ありがとうございます。

岡田 実は、先生が愛知県岡崎市の基礎生物学研究所に赴任された年に、私も隣の生理学研究所に単身赴任していたのです。先生が自転車に乗って研究室に向かわれるのをよく目にしました。

大隅 そうでしたね。

永山 私はその翌年駒場から生理研に参りました。何かとても不思議な縁を感じます。

永山 先生が研究者の道を目指したころのお話からお聞きしたいのですが、お父さんも研究者でいらしたのですね。

大隅 父は九州大学工学部の教授を務めていましたから、研究者に対する気持ちのハードル自体は低かったですね。兄も研究者でしたが、戦争体験を契機に理系から文系に専攻を変えました。私は芸術もスポーツも得意ではなかったので、今思うとネガティブ志向というか、消去法というか、確信を持って研究者を志したわけではないのです。ただ、父と同じ工学系は避けたい気持ちがありました。
東京大学理科�類へ進学し、授業内容があまり腑に落ちずにいたところ、ちょうど専攻に縛られず科学全般を学ぶことを目的とした基礎科学科が教養学部に新設されたので、迷わずそちらに進みました。学生当時から、新しい風を巻き込む組織の改組は肯定的に捉えていたようです。今でもその気持ちは変わっていません。
その基礎科学科で恩師の今堀和友先生(東京大学名誉教授)に出会ったことが分子生物学を目指すきっかけになりました。

永山 学部修了後の1967年に大学院に進学されたのですね。

大隅 修士課程時代は遺伝学や分子生物学が非常に発展した時期でもあり、私にとっては幸運でした。博士課程では大腸菌のタンパク質生成を妨げるコリシンの研究に取り組みました。
ただ、指導いただいた前田章夫先生が、これも新設された京都大学理学部生物物理学教室に移籍されたこともあり、博士課程2年目から、いわば国内留学したのです。初代卒業生には優秀な人材が多数いました。今振り返ると、京大に移る際にきちんとした手続きを踏んでいなかったような気もします。当時はのんびりしていて運用が緩やかだったのでしょう。時代に恵まれていたと感じます。

岡田 ご結婚はそのころでしたね。

大隅 妻の萬里子は私より2年後輩の研究生でした。京都で結婚生活が始まり、1年後には長男が生まれました。妻が三菱化成(現三菱化学株式会社)の生命科学研究所に職を得たのを機に、私は、当時今堀先生が在籍されていた東大農学部へ移り、妻に生活を支えてもらいながら、今堀先生の下で博士学位を取得しました。

永山 奥さんが研究生活を支えるという話は最近ではあまり聞かない美談ですね。

大隅 好きな研究を続けさせてもらったことに感謝しています。

永山 それからアメリカへ留学されたわけですね。

大隅 ノーベル賞受賞者のG.M.エーデルマン先生の研究室へ3年間留学しました。ただ、先生が研究分野を免疫学から発生生物学へ移してしまった関係で、私は慣れないマウスの受精研究をずっと続けることになり、留学中はあまり将来に希望が持てなくなった時期でもあったのです。幸運なことに、帰国1年前は酵母菌の共同研究をする機会を得ることができました。このときが酵母との出会いです。

永山 帰国されたのは1977年ですね。

大隅 東大理学部植物学教室の安楽泰宏先生に助手として呼んでいただきました。大腸菌の輸送機構について世界的な研究をされていた安楽先生からは「私は大腸菌を研究するから、君は酵母に取り組むように」と言われました。思案した末、当時ほとんど注目されていなかった液胞の膜輸送の研究を始めることにしました。私は研究活動の結果が勝った負けたということにつながるような競争の世界は基本的に苦手でした。人が手掛けない分野を志向する気持ちが強かったのです。何が幸いするかは分からないですね。

永山 先生のお話を聞いていると、ずいぶんと曲がりくねった道を歩まれたようです。特にアメリカでは不安感にさいなまれたこともあったのではないでしょうか。

大隅 どんなときでも、なるようになるさと楽観的に思うようにしていると、やがて道が開けていったような気がします。全般に、興味ある研究を続けられるような研究環境面の寛容さも味方してくれました。

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