2017.04.23

時代の風~第10回 急速な高齢化社会(2017年4月23日)

急速な高齢化社会

人生の終幕に美学を

日本社会は急速に高齢化している。それは、街を歩いていても車を運転していても、日々感じられることだ。2015年の内閣府のデータによると、日本の65歳以上の高齢人口の割合は26.7%である。それに対して、0~14歳の年少人口は12.7%に過ぎない。外であまり子どもを見ないという実感は正しいのだ。

高齢化が進んでいると言うと、ヒトという生物の寿命が本当に長くなったという印象があるようだが、そうではない。生物学的に見たヒトの潜在的寿命はもともと非常に長く、ヒトにもっとも近縁な動物であるチンパンジーと比べると、彼らの2倍は生きられるように作られている。

生きていると、細胞の中に必ず活性酸素が生じる。それが細胞の機能を少しずつ破壊し、死を招くもとになる。動物は、その活性酸素を捕まえて処理する酵素を備えている。その酵素のレベルと潜在最長寿命がきれいに相関するのだが、私たちヒトは、確かにチンパンジーの2倍も、この酵素を持っているのである。

つまり、何もなければ、ヒトという生物はもともと大変長生きなのだ。しかし、人生に何もないことなどない。伝染病、けが、戦争などなど、いろいろな災難が降りかかるので、多くの個体は潜在最長寿命を達成できない。ある集団の中で死んだ人の死亡時の年齢を平均したのが、その集団の平均寿命である。乳幼児の死亡率が高いと、平均寿命は23歳などという数字になることもある。

これは、誰もが23歳で死んでしまうという意味ではない。そんな社会でも、子ども時代を生き抜き、その後も不運にあわずに生きた人の中には、65歳以上に達する人もいた。非高齢化社会であっても、一握りの高齢者はいつもいた。人生の途中に降りかかる数々の災難に対処する社会の能力が向上するほど、大部分の人が長生きできるようになり、平均寿命はどんどん延びてきたのである。

過去の人類の遺跡を見ると、1万年前でも「老人」の骨は出土する。狩猟採集など、現代の医療や福祉制度の恩恵を受けていない伝統小規模社会が、世界中にはいくつか存在する。また、かつてあったそのような社会の様子については、民族学者や歴史学者によってかなり研究されている。

それらを見ると、生き延びた少数の高齢者は、まだまだ元気でよく働いていて、それなりの役割がある。あまり体力を使わない食料収集、伝統医療、宗教祭事、道具作り、孫の世話、社会関係の調整、めったにない災難への対処、集団の歴史の伝承などだ。現代医療のない世界でここまで生き延びてきたのだから、確かに元気で知識も豊富である。だから老人は尊敬される。

しかし、最後の最後、どうにも体が言うことをきかなくなったときには、伝統小規模社会は悲しい。積極的か消極的かはともかく、死んでいくに任せるのである。誰もが、それが運命だと思っている。

現代社会が徐々に食料生産を上げ、医療技術も福祉制度も向上させていく中で、いつしか、一握りどころか、ほとんどの人が高齢者になる時代が来た。しかし、このような発展を遂げた社会は同時に、技術革新が日進月歩で、古い時代の知識などあまり有効とは思われない社会なのである。都市生活では職場と住居が離れており、引っ越しも多いので、孫がそばにいるわけではない。医療も宗教祭事も専門家がとり行う。職場の社会関係の調整に年寄りが出る幕はない。社会の変化が激しいので、世代間の価値観ギャップが大きい。分からないことがあればネットで検索......となると、老人の役割はないし尊敬もされなくなる。

私たちの現代社会は、伝染病をなくしたり、経済を発展させたりと、個別の幸せ目標を達成させようと努力してきた。その結果、誰も気づかないうちに、多くの人が高齢まで生き延び、しかも、それらの高齢者にあまり役割のない状況を作ってしまったのだ。これからどうすべきか?

もちろん、健康寿命を延ばす努力は重要である。しかし、それと同時に、高齢者が働きがいと役割を感じられる状況にしなければならない。高齢者自身も、そこに知恵をしぼる必要がある。そして、人生をどう終わらせるかについて、新たな美学を作らねばならないのだろう。

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