2018.01.07

時代の風~第16回 犬と暮らす 少子化社会に差す希望(2018年1月7日)

犬と暮らす 少子化社会に差す希望

新年を迎えた。今年は戌(いぬ)年。私はイヌが大好きで、現在、スタンダード・プードルを2匹飼っている。上の子は今年で14歳のキクマル。下の子は3歳になったばかりのコギク。2匹とも雄である。いずれも獣医で「ヒトと動物の関係」についての専門家の方から譲り受けたので、生後3カ月までは、しっかりイヌのお母さんに育てられてしつけてもらってある。

キクマルが最初にうちに来た当時、私は仕事の関係で別のマンションに住んでいたので、それほど濃密に接することはなかった。可愛くていい子なのだが、キクマルは誰よりも夫になついており、完全な「お父さん子」である。私のことは、友達の部類にでも入っているのだろう。

コギクが来たときは違った。夫と2人でもらいうけに行き、帰りの車の中では、私が抱いていた。3月末のことで、1月1日生まれだからまさに生後3カ月。体重は7・5キロほどだった。大きなイヌを2匹飼ってもよいマンションに引っ越したので、それ以来、私たち夫婦とイヌ2匹の生活が始まった。

2歳までのコギクはいたずら盛りで、どれだけ大事な物を壊されたか。花瓶に生けてある花は引きずり出してむしる。私の眼鏡をかじる。スリッパをかじる。アフリカ土産の置物をかじってばらばらにする......。そんなときには、こちらも頭にきて本気で怒るのだが、やはり可愛いので抱っこすると、私の肩にあごをのせて眠ってしまった。その柔らかい手触りとぬくもり。そのとき、本当に心の底からこの子が可愛いという感情が湧いてきた。いたずらしても、何を壊しても、絶対にこの子を可愛がるぞ、という決心のような感情である。きっとそのとき、私の脳内にオキシトシンという愛情ホルモンがどっと出て、受容体がそれを感知し、情動系に不可逆の変化が起こったに違いない。子どもを可愛いと思う感情の脳内基盤に関する研究によれば、そういうことだ。

さて、そこまでなら珍しくもないが、この話には続きがある。告白すると、私はもともと人間の子どもがあまり好きではなかった。仕事柄、原稿を書いたり論文を読んだりして集中することが多いが、そんなときに子どもの泣き声がすると嫌だなあと思っていた。保育園ができる計画に地元の人たちが反対するという話をよく聞く。本来、そういうことではいけないと思いつつ、反対する人たちの心情は理解できた。

ところが、である。コギクが心底可愛いと感じるようになってしばらくたったころ、通勤の電車の中で本を読んでいるとき、同じ車両に乗っていた赤ちゃんが泣き出した。かなりうるさかったのだが、なんと私はうるさいとも嫌だとも感じることなく、「あれれ、あの子はどうしたのかな?」と心配している自分に気づいたのであった! つまり、私の「子ども可愛い」感情は、コギクというイヌを刺激として開発されたのだが、この感情が「人間の子ども一般」に拡張されていたのである。

赤ちゃんを育てているお母さん方に聞くと、まさにそうであるらしい。つまり、自分の子どもに対して可愛いという絶対的な感情が出てくると、それはよその子どもたちにも拡張されるのである。京都大の明和政子教授の研究によると、大学生にボランティアで週1回ずつ保育の仕事をしてもらうと、そういう経験を積んだ後では、赤ん坊の泣き声に対する脳内の反応が変わるそうだ。私と同じで、それほど嫌だと思わなくなるらしい。

このことは、子どもと接する経験が日常的にある場合、ないときよりも子どもをケアする心が準備されることを示している。これはまさに、私たち人類が共同繁殖の動物であることを示しているのではないだろうか。少子化が進むと、社会一般に、子どもと接する機会が減少する。そうすると、子どもをケアする感情のスイッチが入りにくくなり、ますます少子化が進む。

私自身の経験によれば、そのスイッチを入れるには、イヌでもかまわないのである。少子化は起こっているものの、逆に犬猫などのペットは増え、「少子多犬」の時代である。イヌがきっかけとなって、子どもをケアする心を持つ人の数が増えていけば、この先の社会に希望が持てるようになると期待したい。

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