2017.08.27

時代の風~第13回 科学技術の行方(2017年8月27日)

科学技術の行方

望む未来の姿、自問を

以前、本欄でも指摘したが、科学技術の行方がどうなるのか、私はいろいろな意味で危惧している。何が原因かといえば、現在の科学技術が、私たち人間自身を直接に変える能力を持つ段階まで来たのだが、私たちは私たち自身について、まだ十分に知ってはいない、ということなのだ。

自動車や電車や飛行機を持つようになったとき、私たちは、物体の運動や燃焼に関する基礎的な物理学をかなりの程度に理解していた。その上で作り出した自動車や電車や飛行機の技術は、うまくいかないときにどうするかについても、おおかた制御可能な範囲にあった。しかし、こんな技術が、その技術以外の側面で人間生活にどんな影響を及ぼすかについては、誰も考えていなかったところがミソである。原子力関係の技術については、うまくいかなかったときにどうするか、まだ本当に自信をもって制御できるとは言い難いのではないか。

土木についても、いろいろな面で実は何も分かっていないのに、できることだけをやって突っ走ってきた面がある。河川というものは、それを含む周辺の生態系全体の一部であるのに、水を通すただの配管のように考えて護岸工事をし、生態系を破壊した。生態系という複雑系を十分に理解していないにもかかわらず、ある側面の利便性だけを求めたのである。

それやこれやの結果が、環境汚染であり、気候変動であり、種の絶滅である。これらのうまくいかないことを制御しようとすると、今や何をしたらよいのか? ある一つの地域の壊れた生態系の修復ですら一筋縄ではいかない。少しずつ、良い方向にいくと考えられることを試してみて、うまくいかなければ、また別の方法を試してみるという、順応的なやり方しかない。もっと大きな気候変動などの問題に対しては、本当にどうすればよいのか。

そこに今度は、遺伝子操作、人工知能、高度情報技術、仮想現実、ビッグデータ利用、である。これらの技術は、自動車や護岸工事のように、私たちの外にある世界を私たちが変革するというだけではない。私たち自身を直接に変革する技術である。遺伝子操作はまさにそのものだが、情報技術はなぜ、私たち自身を変えるのか? それは、私たち人間という存在が世界を知り、社会関係を築いている方法が、すべて情報伝達だからである。

その意味では、ラジオ、テレビ、電話の普及が、変革の始まりであった。これらの技術は、私たちが世界を認識し、世界とつながるやり方を変革した。ラジオが出現したときには、オーソン・ウェルズの演出・主演による「火星人襲来」を伝える放送がパニックを引き起こした。聞いた米国の人々が、それを現実だと思ったからである。テレビが出てきたときには、青少年に対する害悪がさんざん懸念された。それでも、私たちはなんとかやってきた。しかし、これらの技術によって、私たちの社会生活は大きく変化した。

さらに人工知能、ソーシャルメディア、仮想現実、ビッグデータ利用となるとどうなるか? 私たちは、自分の視覚、聴覚、触覚、運動感覚、味覚などの感覚器官を総動員して周囲の環境を感知し、それを現実だと認識し、それに基づいて行動選択をするように進化してきた。生まれてからおとなになるまでの発達過程で、そのような経路を形成するようにできている。情報技術は、おそらく、この経路を変える

私たちが外的環境をどのように認識し、それをどのように処理して自分自身の行動選択をしているのかは、まだ十分に理解されていない。その最先端が脳科学である。そして、その行動原理が、赤ちゃんのときからどのように発達してくるのか、全容を私たちは理解していない。その最先端が、認知・心理発達科学である。私たち自身に関する理解はまだまだ未熟なのだ。

私たちの脳は、宇宙よりも生態系よりも、もっと深遠な複雑系である。その理解が十分でないまま、それらの一部について、自分自身で操作を加えることができるようになった。

そうだとすると、私たちはどんな未来が欲しいのかというゴールを設定した上で、研究開発目標を立てるべきときが来たのではないだろうか?

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