時代の風~第44回 永遠に生きたい欲望 ~嫌なヤツも滅ばぬ社会(2021年4月25日)

時代の風

私は、2016年4月から、毎日新聞に『時代の風』というコラムを、6週間に1回、連載しています。 現代のさまざまな問題を、進化という別の視点から考えていきますので、ご興味のある方はご一読ください。

永遠に生きたい欲望 ~嫌なヤツも滅ばぬ社会

コンピューター関連技術の昨今の進展は目覚ましい。これほど大量のデータを読み込み、処理し、解析し、記憶し、瞬時に検索することができるようになるとは、たった 20 年前であっても、誰が予測しただろう?

ヒトの脳には、およそ 860 億から 1000 億個の神経細胞があるのだそうだ。それ自体ずいぶん大きな数字だが、これらの神経細胞どうしがさらにシナプスでつながっている。ヒトでは、大脳皮質だけでも 130 兆個近くものシナプス結合があるらしい。

私たちの脳は、こんな想像を絶する規模の神経ネットワークが働く場だ。だから、長らく、ヒトの脳の働きを研究するのは困難だった。今でも難しいのだが、コンピューター関連技術などの格段の進歩によって、脳の理解もずいぶん進んだ。

それと同時に、人工知能( AI )分野の研究もずいぶん進んだ。未来学者のレイ・カーツワイルは、 2005 年に出した書物の中で、 45 年にはコンピューターの処理能力がヒトの脳の処理能力を超えるようになるだろうとし、それをシンギュラリティー(技術的特異点)の到来と呼んだ。

そのころから、やがて今の人間たちがやっている仕事の多くは人工知能関連技術でまかなわれるようになり、人間の仕事がなくなるなど、さまざまな憶測が飛び交うようになった。

そして、カーツワイル自身もそうだが、このような未来像を展開している人々の多くは自分が永遠に生きたいと望みを持っているようだ。その方法の一つとしては、自分の脳に蓄積された情報を全部コンピューターにコピーし、からだ自体はロボットにして、コピーされた「自己情報」がロボットのからだを動かすことで不老不死になる、ということが考えられる。

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一方、自分の肉体を本当に永続させるという、生物としての話もある。昨今は、生命科学の発展も目覚ましい。老化というプロセスがどのようにして起こるのかについても、ずいぶん多くのことが分かってきた。そのメカニズムだけ見ると、老化とは、細胞が遺伝子を発現させている過程で生じるさまざまな不具合の積み重ねと言えるだろう。だから、その不具合を取り除くことができさえすれば老化を防ぐことも可能になる。

最近では、乳幼児の死亡率が減少し、世界的に平均寿命が延びている。中でも先進国では、多くの病気の治療が進み、 80 歳以上まで生きる人の割合が急速に上昇。しかし、ヒトという生物の潜在寿命は 120 歳ぐらいと言われている。それは、この細胞レベルで生じている不具合の積み重ねを、すっかり取り除くことはできないからだ。

もしも、それができるようになれば、よぼよぼで意のままにならいない状態で生き続けるのではなく、だいたい 30 歳ぐらいの体の状態を保って、ずっと生き続けることができるようになるかもしれない。もしそうなったら、みなさんはそれを望みますか?

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私が見るところ、若さを保って永遠に生き続けたいという欲望を表明しているのは、おもに年のいった男性である。若い男性や、若くても若くなくても女性が、このような欲望を表明しているのには、お目にかかったことがない。老いるということが実感されるようになったあと、永遠の活動を欲するのは、おもに男性だということだろうか。女性には閉経があり、繁殖に終わりがあるのが明らかだ。それをやめて永遠に子供を産んで子育てしたいと望む女性がいるだろうか。

生物の個体は老化して死ぬようにできている。ヒトも生物であり、そのように一生が変化するからこそ、さまざまな事柄を考えてきた。限りある生には悲哀がつきものだ。あきらめを伴う希望、つまり、将来に託すという希望もあり得た。知恵とは、そういうものではないか。

それがなくなり、自分がいつまでも活力旺盛に動ける人生になれば、このすべてが変わる。過去の哲学と知恵は無意味になり、それこそ新しい人類になるのだろう。そこで地球環境問題はどうなるのだろうか?

もしも、永遠の命が年取った男性に限った願望なのだとしたら、それで人類全体を変えることはしてほしくない。嫌なヤツもやがては滅びる、ということがなくなる社会を私は望まない。

( 2021 年4月25日)

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